”たとえ天下をとったとしても、妾は持たぬ”
これは謀反を起こし、主君織田信長を討ったことで知られる明智光秀の名言です。…と言っても、信長に使える前に言ったとされる言葉ですが。
この記事では、そんな逆賊とされる明智光秀のいい部分も拾いつつ、 この名言に込められた意味を解説していきます。
明智光秀の名言
片や謀反を起こしたことで逆賊扱いされていますが、頭脳明晰で教養があり、愛妻家で、領民からも慕われていたことでも有名です。
そんな明智光秀の名言がこちらです。
”たとえ天下をとったとしても、妾は持たぬ”
まずは、明智光秀の人間性に触れてみましょう。
いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 明智光秀の名言の意味
戦国武将の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひ、こちらもご覧下さい。

明智光秀とはどんな人
安土桃山時代に生きた武将です。
1528年、美濃の明智光綱の子として生まれ、1582年54歳で羽柴秀吉に破れ死去。
けっきょく何をした人
ただし領民には慕われていた
明智光秀の功績
- 由良川の流れを修正し氾濫を防いだ
- 織田家で先立って家中軍法を作った
細かな功績は他にもありますが、大きなものではこの2つに絞られるでしょう。
昔の福知山は、由良川と土師川が合流する地点で、たびたび氾濫が起きていました。しかし1580年に、明智光秀が福知山城の建設をする時に、一緒に由良川の流れを北方向につけ替えるという治水工事をおこなったんです。
詳しくは、国土交通省のHPに画像つきで載っています。
また、家中軍法は18か条で構成されています。なんで、これが功績なのかと言うと、それまで織田家中では軍法が存在してなかったんです。
ですから、光秀の軍法はその先駆けとなったわけです。これに見習って、他の武将も作り始めたと言います。
明智光秀とはどんな人物
明智光秀は、最初から織田家に仕えてるわけではありませんでした。明智家は先祖代々、美濃の斎藤道三に仕えていたんですね。
ですが、その道三が息子の斎藤義龍に滅ぼされたため、光秀は浪人になってしまいました。光秀の教養は、この浪人時代に育まれたと言われています。
生活はとても貧しかったようです。浪人時代のこんな逸話が残っています。
光秀の妻である煕子は、結婚前に疱瘡にかかってしまいました。その結果、顔に痕が残りました。煕子の父は、これでは光秀に申し訳ないと思い、妹の方を嫁に差し出したそうです。
しかし、光秀はこれを拒否。こう言ったそうです。「自分は他の誰でもない、煕子殿を妻にと決めている。」
やがて時は過ぎ、明智光秀は朝倉を経て織田信長に使えるようになりました。
光秀は、その博学力から信長に重用されるようになり、あの残虐と言われた比叡山焼き討ちも光秀が先頭に立って主導しました。
信長はそのご褒美として、光秀を坂本城主に任命しました。ただの浪人が、一国の城主となったわけです。その出世ぶりは秀吉よりも速かったと言われています。
佐久間信盛失脚後には、柴田勝家に次ぐ織田家2番手にまで登りつめているんですね!
しかしその後、長宗我部との同盟を巡って信長との関係に亀裂が入り始めます。
これにより、長宗我部との交渉にあたっていた光秀のメンツは丸つぶれ。
他にも、さまざまな理由があるようですが、こうして本能寺の変とつながっていくわけです。
宣教師ルイス・フロイスは、当時の明智光秀の性格に関して、このような印象を持ったと書き残しています。
裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で独裁的
己を偽装するのに抜け目がない
戦争においては謀略を得意とする
忍耐力に富み、計略と策謀の達人
築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主
選り抜かれた戦いに熟練の士を使いこなしていた
もちろん、光秀のことを言ってるわけですが、ひどい言われようですね~ヾ(;´▽`A“
実は、明智光秀は仏教徒で、イエズス会のことをよく思ってなかったらしいので、フロイスのこの内容は光秀に対する恨み節も入ってものと思われます。
謀反人として流しれてる光秀ですが、主君織田信長に対してもこのような言葉を残しています。
自分は石ころのような身分から信長様にお引き立て頂き、過分の御恩を頂いた。一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない。
あなたはこれを読んでどう思いましたか?
明智光秀の名言の意味とは?
”たとえ天下をとったとしても、妾は持たぬ”
この名言は、光秀が浪人時代に言った言葉です。浪人時代に教養を深めていった光秀ですが、その一つに蓮歌も嗜んでいました。
ある日、光秀が友人たちを集めて蓮歌の持ち回り会を開くことになりました。しかし、光秀は当時浪人の身。お金がない。そこで妻の煕子に相談しました。
すると煕子は、光秀に持ち回り会を開催するようにすすめたそうです。宴では煕子の豪華な酒肴がずらり。友人たちは満足して帰っていきました。
でもお金がないのに、なぜ豪華な酒肴を出すことが出来たのか?実は、光秀に恥をかかせまいと、妻の煕子が自分の髪を売ってお金を工面していたのでした。
光秀はその煕子の気持ちに答えるために「たとえ天下をとったとしても、妾は持たぬ。」と言ったのです。
残念ながら、煕子は早々と亡くなってしまいますが、その後煕子の妹を嫁にとった光秀が側室をとることはありませんでした。
この名言を自分に役立てるには?
現代では、すべての面において進化のスピードが速いので、時代の移り変わりも激しかったりします。
すると、言ってることがコロコロと変わる人が出始めます。ついさっき〇〇と言っていたのに、その3ヶ月後には△△と言っている。
よくいるんですよね~!!でも、そんな人は信用できません。
確かに、明智光秀は主君に反逆してしまいましたが、こと妻・部下・領民に対しては誠実でした。だから、福知山では今でもヒーローなんですよ!
サラリーマンもベースは家庭にあります。家庭が安泰だからこそ、仕事に専念できるわけです。邪な思いにとらわれること無く、妻に尽くしていきましょう。
自分の言動には一貫性を持つ。人は見てないようで、そんなところだけは見てますからね^^
おわりに
私の見解は以上です。あなたの意見はどうでしょうか?
もし、この記事に対する意見&解釈があれば、ぜひ教えていただけると嬉しいです。ただの感想でも、喜んで受け入れさせていただきますヽ(・∀・)ノ
コメント大募集!( ´ ▽ ` )ノ