”世の中に、無神経ほど強いものはない”
これは幕末の英雄の一人である勝海舟の名言です。勝海舟というと、咸臨丸で初めて太平洋を横断した日本人としても有名です。
この記事では、そんな勝海舟の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。
勝海舟の名言
世はペリーの黒船が来航し、日本は開国を迫られていました。そんな激動の時代に、裏で一人の男が日本を救うために動いていました。
その男の名は勝海舟と言います。彼が晩年に残した名言がこちらです。
”世の中に、無神経ほど強いものはない”
まずは、勝海舟の人間性に触れてみましょう。
いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 勝海舟の名言の意味
幕末・明治維新の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひこちらの記事も御覧下さい。

勝海舟とはどんな人
幕末・明治の政治家です。
1823年、旗本小普請組の勝小吉の長男として生まれ、1899年77歳で脳溢血似て死去。
けっきょく何をした人
勝海舟の功績
- 咸臨丸で日本人で初めてアメリカに渡航
- 坂本龍馬に影響を与えた
- 日本の海軍を強くした
- 江戸城の無血開城を誘導した
勝海舟が咸臨丸の艦長であったことは有名な話です。日本史の教科書にも載っていたとおり、日本人として初めて太平洋を横断し、アメリカに渡航しました。
その時のメンバーに、福沢諭吉・ジョン万次郎らもいましたが、勝と福沢は仲が悪かったことでも知られています。かなり相性が悪かったのでしょう。
そして、勝海舟の弟子に坂本龍馬がいます。もともと竜馬は尊王攘夷派でしたが、勝に会うことで開国派に考えが変わり薩長同盟へと動き出しました。
勝海舟は予てから、日本は海軍を強くすべきと主張していました。1864年には幕府の軍艦奉行になると、神戸海軍操練所を設立して日本の防衛力を高めました。
勝海舟は幕府側の人間でしたが、開国派でした。戊辰戦争の時には、将軍慶喜を説得し、上野の寛永寺に謹慎させました。これにより、江戸城は無血開城することで、江戸は火の海にならずに済んだわけです。
これは、欧米の植民地政策から日本を守った、とてつもなく大きな功績です。
勝海舟とはどんな人物

勝海舟と坂本竜馬の銅像
勝海舟は基本的には努力家です。実家は旗本でしたが貧乏でした。ですから、剣術に励んだと言います。
また、勝はこれからは英語が重要になると理解し、欄英辞書ズーツハルマを1年かけて写経しました。
写経というのは、原文を別の用紙に一文字一文字書き写す行為のことです。まだ朱子学が全盛の時代だったので、勝のやっていたことは周りからはかなり異質に映っていたことでしょう。
ですが、そんな勝海舟が17歳になった時に、あるものと出会います。世界地図です。ここで初めて、世界の大きさを知ることになったわけです。きっと、日本の小ささに絶句したことと思います。
1853年にはペリーの黒船が来航。幕府は慌てました。
しかし、蘭学塾で生計を立てていた勝海舟が、幕府に海防意見書を提出しました。内容は身分を問わない人材の登用と軍艦の建造です。
すると、それが老中阿部正弘の目に止まり、31歳の時に目付け海防掛に任命されます。ここから、幕府の要人としての働きが始まります。
翌年には、長崎の海軍伝習所で蒸気船の操縦技術を学び、1860年に咸臨丸の艦長になり太平洋を横断。この時勝は37歳でした。
そして1868年に、とうとう戊辰戦争が起こってしまいました。薩摩・長州・土佐藩の倒幕軍と幕府軍が戦ったのですが、結果は幕府軍の完敗。
討幕軍が、いざ江戸城へ進行しようとしたその時に、勝海舟は西郷隆盛に談判し、江戸城を明け渡すことを決めました。これが江戸城の無血開城です。
なぜ明け渡したのか?それは、植民地を狙う欧米から日本を守るためでした。当時の欧米は、日本の内戦を陰で支援していました。武器を売って利益を得るためです。
しかし、江戸城の無血開城により戦いが収束したため、江戸は火の海にならずに済みました。このまま戦いが続いていたら、欧米の思う壺だったでしょう。
勝海舟はそれを読んでいて、西郷隆盛に無血開城を談判したわけです。この無血開城により、得ることが出来た大きなメリットが3つあります。
- 将軍徳川慶喜の切腹を免れることが出来た
- インフラ整備をそのまま明治新政府が引き継ぐことが出来た
- 欧米の侵略を阻止し、日本が近代国家としての第一歩を踏み出すことが出来た
大政奉還後は、実費で元徳川の家臣のサポートをし、新政府にはほとんど関わることがありませんでした。
勝海舟の名言の意味とは?
”世の中に、無神経ほど強いものはない”
この名言は、晩年に書かれた氷川清話の中の一節です。続く文を読んでみると、ほんとうの意味がわかります。
“世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉を御覧。尻尾を切って放しても、平気で飛んで行くではないか。おれなどもまあ蜻蛉くらゐのところで、とても人間の仲間入りは出来ないかも知れない。
むやみに神経を使って、やたらに世間のことを苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭がはげ、ひげが白くなって、まだ年も取らないのにもうろくしてしまうというような憂国家とかいうものには、おれなどはとてもなれない。”
気を使って生きるより、少々無神経なくらいな方が上手くいくと言ってるわけです。
ちなみに、憂国家とは国の現状や将来について心を痛める人のこと。
要は、人に惑わされること無く、自分の思った道をすすめ。そのためには無神経になることも必要だということですね。これは、勝海舟の生き方を見れば納得がいきます。
この名言を自分に役立てるには?
自分を確立する時に、この名言を使うといいのではないでしょうか。
日本人は集団行動を好むので、周りと違うことをするととにかく非難されやすくなります。
でも、考えてみて下さい。よく考えると、人と違うことをして何が悪いのでしょうか?そこから独自のアイデアが生まれてくることだってありますよね?
ただし、どうやれば勝海舟のように無神経を使いこなせるのか?
これは目標をゴールから逆算して設定すると、いいんじゃないでしょうか。
すると、やることが決まるので、自分の考えがブレなくなります。他人の非難からも強くなるでしょう。
もし、ブレそうになったら、今回の名言と勝海舟の人生を思い出してみてください。きっとあなたの励みになりますから。
おわりに
以上が私の解釈です。もし、この記事に対する意見、新しい事実&解釈等ありましたら、下のコメント欄からどしどし書き込んで下さいね( ´ ▽ ` )ノ
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