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黒田官兵衛の名言!”最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ” の意味とは?

黒田官兵衛 日本人の名言

”最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ。”



この言葉は、戦国時代最強の軍師と言われた黒田官兵衛の名言です。官兵衛がいたからこそ、豊臣秀吉は天下人に慣れたと言っていいでしょう。

 
この記事では、そんな黒田官兵衛の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。


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黒田官兵衛の名言

黒田の家紋

戦国武将の中でも知略の人として知られ、あの豊臣秀吉でさえ黒田官兵衛を警戒していたことは有名です。

 
そんな黒田官兵衛の名言はこちらです。

最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ



まずは、黒田官兵衛の人間性に触れてみましょう。

いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 黒田官兵衛の名言の意味



戦国武将の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひ、こちらもご覧下さい。

⇩  ⇩  ⇩

戦国武将の名言集!信長から家康まで時代背景に合わせて解説してみた
戦国武将の名言集です。信長から家康まで時代背景に合わせて解説してみました。今までの戦国武将の総集編です。

黒田官兵衛とはどんな人

姫路城

豊臣秀吉を天下人に押し上げた軍師で、孫氏の兵法の使い手でもあります。本名は黒田孝高。官兵衛は通称になります。

1546年、小寺氏の家臣である黒田満隆の子として姫路に生まれます。1604年、59歳で病気にて死去。


けっきょく何をした人

豊臣秀吉を天下人へと押し上げました。


黒田官兵衛の功績

  • 自分の10倍の軍を率いる赤松政秀を2度も破る
  • 鳥取城兵糧攻めの策を秀吉に提言
  • 高松城(香川県)を水攻めにして攻略
  • 築城に貢献
  • 小田原城にて無血開城を成功
  • 太宰府天満宮の復興に尽力



1569年、青山・土器山の戦いで、黒田軍300兵に対して赤松政秀は3000の兵を挙げて攻め立てますが、官兵衛率いる黒田軍に撃退されてしまいます。

この時、黒田官兵衛わずか24歳です。



さらに、鳥取城攻略の際にも城中に備蓄米が少ないことを見抜き、吉田経家を兵糧攻めにする策を秀吉に提言したのも官兵衛です。

小田原城では交渉役として丸腰で入り、敵方に無血開城させることに成功しています。



また、築城の才能もあり、中津城・高松城・広島城・大阪城・篠の丸城・国府山城の修復と築城を行いました。


黒田官兵衛とはどんな人物

鎧

功績からも見て取れるように、とにかく智謀に優れています。主君である秀吉からも警戒されるくらいでしたから。



そんな官兵衛ですが、17歳で元服し初陣を飾っています。そして、22歳で黒田の家督を継ぎ、姫路城の城代となりました。

30歳の時には織田信長の覇気と才能を見抜き、小寺政職とともに信長に臣従。織田家臣であった羽柴秀吉は、小寺より官兵衛を重用したとされます。
 
その後、官兵衛は上月城の戦いでも戦功を上げています。


しかし、これに不服を感じたか、1578年小寺政職が官兵衛に罠を仕掛けました。官兵衛は謀反を起こした荒木村重に捕まり有岡城に幽閉されてしまったのです。
有岡城跡の石碑

兵庫県伊丹市まで行って写真を撮ってきました。

翌年には救出されましたが、その時に足と腰を悪くしてしまいます。



1580年になると、小寺政職が織田信忠に滅ぼされたため、官兵衛は正式に信長の家臣になり秀吉直属の部下として手腕を発揮しました。
 
1582年に本能寺の変が起こると、官兵衛は秀吉に毛利輝元との和睦を提言し中国大返しを成功させています。

中国大返しとは

中国大返しとは、本能寺の変の直後、秀吉が取った一連の軍事行動をいいます。高松から京都までわずか10日間で移動したとされています。



その後は、43歳で家督を子の長政に譲り、秀吉の側近として使えました。朝鮮出兵時には石田三成と、確執を作っています。


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黒田官兵衛の名言の意味とは?

日本刀

最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ

 
この言葉は、黒田官兵衛が子の黒田長政に向けて言った言葉とされています。

要は、今は叶わない相手がいても、最終的に勝てるように努力をしていきなさいという意味です。


何事も初心者の時には強者のライバルに勝てません。でも、だからといって諦めてはいけない。上手く自分のレベルを上げていくと、ライバルに追いつくことができるといってるわけです。


この名言を自分に役立てるには?

虫眼鏡

いつの時代でも、私たちは競争から逃れることはできません。自然の摂理だから仕方ないんです。

しかし、それでもライバルとの力の差を埋めることは出来ます。


たとえば、織田信長は尾張の小大名でしたが、早々と大大名である今川義元を破りました。

また黒田官兵衛だって、もともとは小寺政職に仕える城代に過ぎませんでしたが、最後には52万石の大大名になっています。



一体何をどうすればそうなるのか?

思い出して欲しいのですが、信長は桶狭間で一点集中による戦略を立てました。狭間という狭い場所で戦ったのです。



対し、黒田官兵衛もいろんな策を立ててはいますが、私が注目したのは自分の強みに一点集中しているところです。

強みというのは智謀のことです。それゆえ軍師と呼ばれたわけです。もちろん、私たちが応用する場合は、官兵衛のように自分の強みに一点集中する方法です。

私達には、何かしら必ず強みがあります。

それは人によっては、優しさであるかも知れませんし、または決断力であるかも知れません。

粘り強さが持ち味の人だっているでしょうし、情報リサーチが得意な人だっているはずです。



それらを一点集中で伸ばして下さい。すると、その分野から、他のライバルより秀でることが可能になります。


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まとめ

私自身も一点集中方式で、自分の能力を伸ばしてきました。黒田官兵衛のように10年後、20年後を見据えて、行動してきました。

その結果、サラリーマン時代とはまったく違う人生を送れています。

 

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この記事を書いた人
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