“どこに生まれようと、どんな環境であろうと、努力すれば道は切り開かれる。”
これはオリンピック競泳で、数多くのメダルを獲得してきた松田丈志選手の名言です。松田選手は恵まれてるとは言えない環境で練習し、実績を積んできたタイプの選手です。
この記事では、そんな松田選手の名言の意味と、その名言をもとにどんなことをしてきたのかを書いていきます。
松田丈志の名言!
松田丈志選手は、競泳日本代表としてオリンピック等で活躍してきました。日本人なら、その名を知らない人はまずいないでしょう。
そんな彼の名言がこちらです。
“どこに生まれようと、どんな環境であろうと、努力すれば道は切り開かれる。“
まずは、松田丈志の人間性に触れてみましょう。
いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 松田丈志の名言の意味
松田丈志とはどんな人
- 生年月日:1984年6月23日
- 身長:184cm
- 体重:84kg
- 血液型:O型
- 出身地:宮崎県延岡市
若いときから負けず嫌いで、ストイックに練習をこなす選手として有名です。それゆえ、今まで取ったメダルの数は半端じゃありません。
そして、とにかく仲間を大事にしています。2012年のロンドンオリンピックの時に言った「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」は流行語大賞にもノミネートされました。
リオデジャネイロオリンピックでは、「丈志さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と逆に後輩が奮起してくれました。
2016年の引退後は、積極的に後輩選手の育成にあたるなど、今でも競泳に尽力を尽くしています。
松田丈志の競泳実績
ここでは、特に大きな大会であるワールドカップ・世界選手権・オリンピックの3つに絞って紹介します。
金メダル
2010年FINE競泳ワールドカップ東京大会
- 男子200m自由形
- 男子200mバタフライ
2011年FINEワールドカップ東京大会
- 男子200mバタフライ
銀メダル
2005年世界水泳選手権
- 男子200mバタフライ
2006年FINA競泳ワールドカップストックホルム大会
- 男子1500m自由形
2011年世界水泳選手権
- 男子200mバタフライ
2011年FINA競泳ワールドカップ東京大会
- 男子200m自由形
2012年ロンドンオリンピック
- 男子400mメドレーリレー
銅メダル
2006年FINA競泳ワールドカップストックホルム大会
- 男子400m自由形
2006年FINA競泳ワールドカップベルリン大会
- 男子200mバタフライ
2008年北京オリンピック
- 男子200mバタフライ
2009年世界水泳選手権
- 男子200mバタフライ
2012年ロンドンオリンピック
- 男子200mバタフライ
2016年リオデジャネイロオリンピック
- 男子800mフリーリレー
松田丈志選手の少年時代
松田選手が始めて泳いだのは近所の川です。ここで泳ぐことに興味を覚え、4歳の時に地元のスイミングスクールに通うようになりました。
スイミングスクールと入っても、自宅から1キロも離れた場所にあり、さらに農業用ビニールシートの中にプールが作られていました。
当然、冬は震え上がるほど寒いはずです。しかし、松田選手はそんな悪条件でも練習を続けていきました。泳ぐことが楽しくて楽しくて仕方なかったのでしょう。
この考えが根底にあったので、悪条件でも耐えて練習をすることが出来たんだと言えます。
久世由美子コーチとの出会い
スポーツ選手にはたいてい優秀なコーチがついているものですが、松田選手にも自分の人生を左右するコーチがついていました。
それが久世由美子コーチです。久世コーチは旭化成に所属する競泳実業団選手で、1979年宮崎に東海スイミングスクールを設立。そこへ4歳の松田丈志が入ってきたわけです。
久世コーチのもとで、目的意識を持って工夫していくことを教えられた松田選手は、小学生になると頭角を表し始めたと言います。
こうして、二人三脚による指導がなされ、松田選手はさまざまなことを覚えていきました。
後に「久世コーチと出来ることをやりきった日々の記憶が、どんな状況でもやればできるという自信に繋がっている」と語っています。
こうして、日本代表の地位までに登り詰めます。2002年の釜山アジア大会では、男子200mバタフライで銅メダルを獲得しています。この時、松田選手は18歳でした。
しかしその後、活躍の場がオリンピックになると、ストイックさだけでは通用しないことを実感します。
ストイックなだけでは通用しない
勉強熱心な松田選手は、他のコーチや専門家からも情報収集し、仲間との情報を共有するよう努めました。その上で日本一の練習量をこなしました。
松田はこう語っています。
”一流のスイマーは、圧倒的な量や質の練習をこなし、努力し続けている。”
”練習量はもちろん、練習に向き合う姿勢は誰にも負けていないという自負がありました。逆に言えば、自分にはそれしかなかった。”
そして、オリンピックの場で結果を出している選手ほど周りに応援され、その力を自分のエネルギーに変えていることを知ります。
”競泳を通じて、結果を出す人は時間も負荷もかけて圧倒的な努力をしていることを知りました。コーチや選手といった周りから応援される選手ほど、その力を自分のエネルギーに変えていることも学んだ。”
それからは、応援を自分の力に変えられる人が夢を叶えることが出来ると講演会で語るようになりました。
松田選手が行ってきた努力
松田選手が結果を出すために行っていたことがあります。それは練習ノートをつけるというものです。
な~んだ、とバカにすることなかれ。これは久世コーチに「強くなりたかったら、自分の記録を記録し続けなさい」と言わしめた効果の高い手法なんですね。
毎日の練習内容から感想・反省までを、ノートに書く。リオデジャネイロオリンピックの男子800mリレー決勝後に松田選手が書いた言葉がこちらです。
”銅メダルとれてよかった。レースは決勝タイム上げれずくやしかった。最後まで100%満足のレースというのはできなかったが、それが水泳の道、極め道なんだと思う。”
このノートには、2つの目的があります。
- 自分の成長へ繋げる
- 自信を取り戻す
自分の成長へ繋げる
まず、書くことで自分と向き合うことになります。向き合うことで、本来の自分が見えてきますから。
次に、自分の限界をしっかり認識した上で、その内容を次回への成長へと繋げていきます。練習内容を修正していくことで、結果もいい方向に改善出来るわけですからね。
あとは、これを繰り返せばオッケーです。
自身を取り戻す
また、辛い時や不安を感じた時なども、このノートを読み返すことで自信を取り戻すことが出来ます。
ノートには、過去に自分がやってきた数々の練習とか工夫の跡が書かれています。時には、ものすごく苦しんだ経験なども書かれているはずです。
その積み上げてきたものを、読み返すことで思い出すことができるんです。
このノートの存在が、松田選手をどんどん高みに押し上げていきました。
実は「書く」という行為は、自分の脳内の情報を整理してくれるんです。だからもし書かなかったら整理ができないので、修正できないですからね。
松田丈志の名言の意味とは?
”どこに生まれようと、どんな環境であろうと、努力すれば道は切り開かれる。”
意味はズバリ書いてあるとおりです。そして、過去にも数多くの偉人たちが、自分の状況に振り回されることなく大きな功績を成し遂げていきました。
松田選手も、ビニールハウスの中に作られたプールでの練習という、決して恵まれてるとはいえない環境で勝利を勝ち取ってきました。
私も過去にドラムの先生に言われたことがあります。「やる奴はどんな状況でもやる。山に籠もってでもやるぞ。」
これは暗に、”ドラマーとして実力がないのは、お前が悪いからだ。環境のせいにするな!” という意味が含まれています(๑¯◡¯๑)
この名言を自分に役立てるには?
松田選手のように、環境は関係ない!努力で道を切り開いてやる!と考えれるようになると、言い訳をしなくなると思うんですね!
言い訳はやる気を削ぎます。さらには、自分をどんどん悪い方向へ追いやってしまいます。ですから、すべて自己責任でやるといいのではないでしょうか。
よく例えとしてあげられるのは、会社の仕事です。私も若い時は、よく上司の悪口を言ったもんです。「あの上司はいったい何やねん(怒)!」とか「会社のやり方が悪いわ!」などなど。
でも、それで現状が解決することはなかったですよね?そればかりか、次の会社でも同じ運命をたどったりするんです(笑)。
けっきょくは、そんな会社を選んだのは自分自身なので、自分で責任をとらないといけないわけですね。それが出来ないのなら、文句を言うなと。
しかし、周りのせいにすることなく、自分の力で何とかしようと決意すると、人生をコントロール出来るようになります。
おわりに
松田丈志選手のように生きれれば、カッコいいですよね~!!(´▽`v)
松田選手は才能もあり、並外れた努力で数々の栄光を打ち立ててきました。これも、この名言が信念となっていたからです。
もちろんオリンピック選手を目指すには、幼少の頃から才能を伸ばす訓練が必要です。でも、そこまで求めないのであれば、けっこうたくさんのことが出来るようになるんじゃないでしょうか。
コメント大募集!( ´ ▽ ` )ノ