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中岡慎太郎の名言!”君子小人人にあり 家に在らず” の意味とは?

中岡慎太郎の名言 日本人の名言

“君子小人人にあり 家に在らず”



これは幕末維新の隠れた功労者である、中岡慎太郎の名言です。坂本龍馬のほうが派手だったので話題になりますが、功績としては竜馬以上であったと言われています。

この記事では、そんな中岡慎太郎の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。


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中岡慎太郎の名言

土佐藩維新の功労者の銅像

左が武市半平太、中央が坂本龍馬、右が中岡慎太郎

時は幕末。ペリーの黒船が来航し日本に開国を迫っていました。対し幕府は弱腰で、それに不満を持った各藩で争いが起き始めていました。


そんな時、日本を欧米の脅威から守るために、薩摩・長州・京都の間を何度も行ったり来たりした男が中岡慎太郎です。

中岡慎太郎はこんな名言を残しました。

君子小人人にあり 家に在らず



まずは、中岡慎太郎の人間性に触れてみましょう。

いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 中岡慎太郎の名言の意味



幕末・明治維新の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひこちらの記事も御覧下さい。

⇩  ⇩  ⇩

幕末・明治維新の名言集!志士&偉人たちはどんな思いを持っていたのか?
幕末・明治維新の名言集です。維新の流れに沿って偉人たちの生き様を解説しました。今までの幕末・明治維新の総集編です。

中岡慎太郎とはどんな人

幕末の志士。薩長同盟の功労者。

1838年、土佐国安芸郡の庄屋である中岡小傳次の長男として生まれ、1867年30歳で死去。暗殺。


けっきょく何をした人

坂本龍馬とともに薩長同盟を誘導し、討幕のベースを作った


中岡慎太郎の功績

  • 薩長同盟の締結に尽力し先導した
  • 薩土密約を締結させる
  • 薩土盟約を締結させる
  • 陸援隊を組織した



薩長同盟の締結に尽力したのは坂本龍馬が有名です。しかし、本当のところは中岡慎太郎の功績のほうが大きかったのではないかという声が高いです。

第一次長州征伐が終わった1864年、中岡慎太郎は小倉で西郷隆盛と会談しました。内容は、幕府の長州征伐についてでしたが、これが薩長連合の画策の始まりと言われています。



続いて、山口県の馬関で、西郷と高杉晋作の会談をも実現させました。また翌年には、高杉晋作と同じ長州藩の山縣有朋を会談させ、大村益次郎、伊藤博文、木戸孝允にも薩長和解について説いています。

その後も、坂本龍馬とともに京都の薩摩藩邸で薩長和解を説くと、1866年木戸孝允、西郷隆盛、小松帯刀の会談が実現し、薩長同盟が成立することとなりました。

 

きっかけは、中岡慎太郎です。ある意味、土佐藩から長州藩に亡命した中岡だからこそ、成し得た技なのかも知れません。



中岡は、土佐の板垣退助にも手紙を出しています。京都の料亭「近安楼」で会見し、武力での討幕を話し合いました。土佐藩と薩摩藩とのつながりも強力にしようと考えたわけです。
 

その後、中岡の仲介で、薩摩藩と土佐藩との間に討幕のための薩土密約を締結させることに成功します。

参加したのはこの面々。

  • 薩摩藩…小松帯刀・西郷隆盛・吉井友実
  • 土佐藩…板垣退助・谷干城・毛利恭助



そして、討幕のために自ら作った武力集団が陸援隊です。高杉晋作の騎兵隊を参考に作りました。

この陸援隊ですが、階級には関係なく尊王攘夷の思想を持つ同志70人で構成されています。本拠地は京都。中岡暗殺後は、田中光顕・谷干城が引き継ぎ、維新後は御親兵に吸収されています。



こうしてみると、かなり精力的に動いていることがわかりますよね!

では、ここで中岡慎太郎の生き方を一緒にみていきましょう。


中岡慎太郎の生き方

笑っている中岡慎太郎

慎太郎は父が教育熱心だったこともあり、3歳の頃から読み書きの指導を受けていました。

なんと、7歳の時には志摩村策吾の塾で儒教を学んでいます。内容は、論語・大学・中庸・孟子の四書です。14歳の頃には、志摩村塾で代理講師を任されるくらい優秀であったようです。



1853年、慎太郎が16歳の時にペリーの黒船が来航。その年、土佐藩は安芸郡にも藩校である田野学館を設立しました。目的は、子弟たちの教育および海岸警備の兵隊育成です。

知欲旺盛な慎太郎は、迷わず進学。ここで後に土佐勤皇党の党首になる、武市半平太に剣術の手ほどきを受けました。

武市の人格と剣術の腕に感服した慎太郎は、個人的にも武市の道場に通うようになっています。他にも江戸の鏡新明智流に入門し、剣術の修行に励んだといいます。

後に陸援隊の田中光顕は、慎太郎の剣の腕をこんな感じで評価しました。
「先生は弁舌さわやかで、剣をもって坂本龍馬より上であったろう。」



ちなみに土佐では、戦国時代からの習わしである一領具足という考えがありました。一領具足とは、長宗我部元親の父・国親が考え出した政策で、いつでも領民が戦争に参加できるよう田畑に武器を隠しておくというものです。

つまり、農民も戦いに駆り出されるわけですから、庄屋である中岡家の長男が剣術を習っても、なんら不思議ではありません。
 
1861年に武市半平太が土佐勤皇党を立ち上げると、慎太郎はすぐに参加し、志士としての活動を始めるようになりました。



その翌年には、前藩主・山内容堂の警護として江戸へ行っています。しかし、ここで運命の出会いが…。

長州藩の尊王攘夷派・久坂玄瑞と会う機会に恵まれたんですね。久坂玄瑞と言うと、尊王攘夷派のリーダー的立場の人物です。

この時に、久坂玄瑞の師である吉田松陰は安政の大獄によりすでに処刑されていましたが、慎太郎は久坂と交わるうちに松蔭を生涯の師として尊敬するようになっていきました。



さらに次の年になると、八月十八日の政変が起こります。孝明天皇と佐幕派の会津藩、開国派の薩摩藩がクーデターを起こしたんです。これにより、京都の尊王攘夷派は一掃され、追い詰められることとなりました。

その波は土佐にも及び、すでに尊王攘夷派として活動をしていた中岡慎太郎は、土佐藩を脱藩し長州藩に亡命することとなりました。
 
1864年、高杉晋作と薩摩藩主・島津久光の暗殺を企てるが、これは失敗。その後は長州藩側として、禁門の変・第一次長州征伐で戦い破れています。



しかし、ここで慎太郎は目覚めるわけです。この戦いが、無益有害のなにものでもないことに。

そして、尊王攘夷論から雄藩連合による討幕論へと考えを進化させました。ここから、薩長同盟のための活動が始まったわけです。



薩長同盟と薩土盟約の締結後は、1867年12月10日京都の近江屋で、坂本龍馬と一緒に暗殺されました。

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓

坂本龍馬は即死。中岡慎太郎は襲われた2日後に死亡。この知らせを受けた公家の岩倉具視は、悲痛の叫び声を上げたといいます。



板垣退助は、中岡慎太郎を振り返ってこう評しています。

「世間で名高くなっている坂本龍馬よりは、ある面で優れていたかと私は思っている。中岡慎太郎という男は立派に西郷、木戸と肩を並べて参議になるだけの人格を備えていた」

引用元:Wikipedia

 
ちなみに、坂本龍馬が戦うことなしに政権交代を望んだのに対し、中岡慎太郎は武力による討幕を望みました。


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中岡慎太郎の名言の意味とは?

中岡慎太郎の銅像

君子小人人にあり 家に在らず

意味は「立派な人間になるか小さな人間になるかは、家柄ではない」ということです。一言でいうと、その人の心がけ次第であると暗に言ってるわけですね!



中岡慎太郎も庄屋出身で、特に家柄がいいわけではありませんでした。

この名言がいつのものかはわかりませんが、慎太郎がこのような信念を持って生きていたのなら、それも納得できますよね^^



幕末は、上級武士より下級武士の活躍が目立った時代でもありました。過去の歴史を振り返ってみても、豊臣秀吉(足軽)・前田利家(足軽)らがそれを証明していたりします。

さらに、中岡慎太郎の死後には、百姓の子から一国の総理大臣にまでのし上がった人物だっているんですよ~。伊藤博文です。


この名言を自分に役立てるには?

古書

これは私の私感ですが、確かに成功に身分は関係ありません。しかし、誰でも成功できるわけではないとも思っています。

もちろん、行動力がないと話にならないわけですが、それ以外でも大事なことがあります。

それは、

 

必要なことを勉強したかどうかです。
別の言葉でいうと努力ですね!



中岡慎太郎だって、子供の頃に猛勉強をしています。坂本龍馬に限っては、子供の頃に勉強が出きなかったと言いますが、成人してからは勝海舟横井小楠佐久間象山のところで学んでいます。

豊臣秀吉・伊藤博文はさまざまな人と関わっていく中で、いろんな知識を身に着けていったようです。年齢は関係ありませーんヽ(・∀・)ノ


私だって今年56歳になりますが、ブログで偉人たちの名言を解析していくことで、成功のために必要な考え・心構えを勉強させて頂いています。

このことはきっと、これからの自分の人生に大きく影響していくことでしょう!


家柄とか学歴(卒業学校)は関係ありません。それより大事なことは、自分の成功に必要なことを勉強して努力したかどうかです。

それさえ出来れば、人生は何かしらいい方向に働いていくことでしょう~!!


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おわりに

他の偉人たちも語っていましたが、なぜか維新と言うと行動が派手な坂本龍馬の名前ばかり表に出てきます。でも、本当の功労者は中岡慎太郎なのかも知れません。

同時に、多くの維新に関わった偉人たちから慕われていたことも伺えます。

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この記事を書いた人
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