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徳川家康の名言!”人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし” の意味とは?

徳川家康 日本人の名言

”人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし”



江戸幕府初代将軍である、徳川家康の名言です。信長・秀吉と同じ時代を生きながら、ずっとこの2人の影に隠れていた、家康ならではの知恵が隠された言葉です。

この記事では、そんな家康の名言の意味と、その名言が生まれるための生い立ちまでさかのぼって考えてみました。


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徳川家康の名言

徳川家の家紋

徳川家の家紋

徳川家康は、今では考えられないような特殊な育ち方をしました。織田信長豊臣秀吉とは違い、どうにも一筋縄ではいかない人生です。



そんな徳川家康だからこそ、生まれた名言がこちらの言葉です。

”人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし”



まずは、徳川家康の人間性に触れてみましょう。

いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 家康の名言の意味



戦国武将の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひ、こちらもご覧下さい。

⇩  ⇩  ⇩

戦国武将の名言集!信長から家康まで時代背景に合わせて解説してみた
戦国武将の名言集です。信長から家康まで時代背景に合わせて解説してみました。今までの戦国武将の総集編です。

徳川家康とはどんな人

家康の銅像

徳川家康は、一言でいうと稀代の苦労人です。

戦国時代~安土桃山時代~江戸時代初期までを生きた人で、子供の頃は人質として過ごしました。信長・秀吉とはまったく違う人生です。



1543年に岡崎城主(愛知県)松平広忠の長男として生まれ、1616年に死去しました。


けっきょく何をした人

徳川家康は、100年以上続いた戦乱の世に平和をもたらしました。


徳川家康の功績

  1. 不安定になった豊臣家を倒した
  2. 政権を関西から関東の江戸に持っていった
  3. 戦争のない時代の礎を築いた
  4. 朝鮮との国交を回復させた



天下統一を果たしたのは豊臣秀吉でしたが、秀吉の晩年は国が再び荒れ始めていました。そこで秀吉の死後、家康が江戸幕府を開くことで、その後260年も続く戦乱のない世の礎を築きました。

日本ではあまり人気のない家康ですが、海外ではこの功績がとても評価されています。



また、江戸を政治の中心に持ってきたことで、今の東京の発展があります。家康がいなければ、今でも日本の首都は関西だったかも知れません。

あとは、秀吉の朝鮮討伐の尻拭いもしっかりと行っています。


徳川家康とはどんな人物?

とにかく苦労人です。信長・秀吉も苦労したんだとは思いますが、家康の比ではありません。大きなものだけで、これだけあります。

  • 幼い時に母と生き別れる
  • 子供時代は今川家と織田家の人質
  • 父忠宏が家臣の裏切りにより殺害
  • 息子が命を落とす
  • 家臣の石川数正に裏切られる
  • 秀吉の命令で関東へ左遷



まず、幼少期の時に実母と生き別れになります。これは、母の兄が織田方についたため、それに怒った父忠宏から離縁されたためです。

そして、6歳の時から今川家の人質として過ごすことになります。



その後、今度は織田家の人質となってしまいます。この間に地元では、父忠宏が家臣の裏切りにより殺害されます。これにより、父母のともどもいなくなりました。



14歳で元服後は、再び今川の岡崎城に戻りましたが、不遇の時代が続きました。転機が訪れたのは、有名な桶狭間の戦いからです。

今川側で戦った家康は戦果を挙げますが、大将である今川義元が信長に討たれてしまったのです。弱体化した今川から家康は独立を果たしました。



その後は、信長と同盟を結びます。しかし、敵である武田勝頼との関係を信長に疑われた松平信康に、切腹を命じなければなりませんでした。

松平信康は家康の長男です。この時、まだ21歳でした。



本能寺の変の後は、秀吉と対立関係になります。信長亡き後の勢力争いですね!でも、そこでも長年の家臣であった石川数正が豊臣側へ寝返ってしまったのです。

これにて、家康の戦略が秀吉に知れることになります。その結果、秀吉に仕えることになり、最終的には関東へ左遷させられることになります。


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家康の名言の意味とは?

岡崎城

”人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし”

決してカッコいい名言ではありませんが、この言葉の中には家康のすべてが詰まっています。



東照公御遺訓とうしょうこうごいくんには、この名言の全文が載っています。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。引用元:東照公御遺訓



意味はこんな感じです。

人の人生は、背中に重い荷物を背負いながら、遠くまで行くようなものである。決して急いではいけない。不自由が当たり前と思うことで、多少のことがあっても満足できるのだ。

欲が出来たら、困っていた時のことを思い出すがいい。耐え忍ぶことで、何事もなく安泰の状態が続くことになる。

怒りは自分の害になると思え。人を責めるな。そして、やりすぎるよりは、少し足りないくらいのほうがいいのだ。

家康だからこそ、出てきた言葉ですね^^

一見地味ですが、この言葉の中にはとても深い意味が込められているのがわかります。


この名言を自分に役立てるには?

竹千代の銅像

私が思うに、世の中の95%の人は私を含め苦労人ではないでしょうか。どんな人であれ、大なり小なりの苦労をしてると思うのです。

逆に、信長タイプ・秀吉タイプはわずか0.5%程度です。本当に才能に溢れた人ですね。



そう考えると、家康の名言は95%側の人に当てはまります。生きていく上での自訓として使えますよね!

明らかに人よりも秀でた才能があるわけでもないのに、信長・秀吉のつもりでいくと必ず痛い目に合います。



でも、しっかりと自分の見据えて家康の言葉を受け入れてあげると、ぜんぜん違ってくるのではないでしょうか。

最初から重荷を背負うと覚悟が決まってると、少々嫌なことがあってもへこたれません。人を責めないことで人生も上手く回るようになります。



また、家康が天下を治めた理由の一つとして、信長・秀吉より長生きをしたことが取り上げられます。

  • 信長…48歳
  • 秀吉…62歳
  • 家康…74歳



あれだけ、ストレスフルな幼少期を過ごしながらも、これだけ長生きをしています。なぜでしょうか?

これは私の推測なのですが、家康のあの考え方がストレスを軽減させたのだと思います。
 

覚悟がなければ、いきなりの不幸には耐えれません。しかし、家康のようにどんな状況も受け入れる覚悟が決まってると、想定内のことですからさほど大きなストレスには感じません。



現代は特にストレス社会だと言われます。家康のような覚悟が出来ていると、ちょっと違うのではないかと思います。

いい言い方をすると、これが凡人が天下を取る法則です。

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おわりに

徳川家康はよく「狸」と言われます。しかし、生きるか死ぬかの戦国の世を生き抜くためには、それ相応の知恵が必要になります。

そう言った意味では、したたかも作戦のうちです。
 

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この記事を書いた人
Mr.名言

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