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横井小楠の名言!”書簡何ぞ須く句解の為にある” の意味とは?

横井小楠の名言日本人の名言

”書簡何ぞ須く句解の為にある”



これは、幕末の儒学者でもあり思想家でもある、横井小楠の名言です。横井小楠はあまり目立たない存在ですが、明治維新においてすごく大切な役割をしているんですよ~(´▽`v)

この記事では、そんな横井小楠の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。


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横井小楠の名言

熊本城

幕末に、未来の近代日本の姿をしっかりとイメージできる人は限られていました。その中のひとりが横井小楠です。


彼の名言がこちらです。

書簡何ぞ須く句解の為にある



まずは、横井小楠の人間性に触れてみましょう。

いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。⇨ 横井小楠の名言の意味



幕末・明治維新の名言に関する総集編のような記事を書きました。ぜひこちらの記事も御覧下さい。

⇩  ⇩  ⇩

幕末・明治維新の名言集!志士&偉人たちはどんな思いを持っていたのか?
幕末・明治維新の名言集です。維新の流れに沿って偉人たちの生き様を解説しました。今までの幕末・明治維新の総集編です。

横井小楠とはどんな人

幕末の肥後(熊本県)藩士。政治・思想家。

1809年に熊本藩士・横井時直の次男として生まれ、1869年61歳で暗殺される。


けっきょく何をした人

大政奉還のもととなる、国是七条を書いた


横井小楠の功績

  • 国是三論を提案し実践した
  • 国是七条を草案し幕府に提案
  • 坂本龍馬に影響を与えた



国是三論とは経世済民、殖産興業、通商交易等による民衆のための富国策のことをいいます。

小楠は福井藩主・松平春嶽しゅんがくが安政の大獄で謹慎させられたあと、藩政の指導にあたりました。農民の積極参加を呼びかけ、生糸の量産輸出によって大きな利益をあげることに着手しました。その結果、福井藩の財政はかなり潤うこととなりました。

国是七条とは次の7つの項目で成り立っています。

 1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ
 1.諸侯の参勤を止めて述職となせ
 1.諸侯の室家を帰せ
 1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ
 1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ
 1.海軍をおこし兵威を強くせよ
 1.相対交易をやめ官交易となせ
 
要は、徳川家中心の政治をやめ、もっと多くの人の意見を取り入れよ。悪しき風習はやめる。欧米の脅威から守るため海軍を強くせよということです。小楠はこれをこの時代に誰よりも早く説きました。
 
また、横井小楠の名言でこんなのもあります。

”政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ”

政治はすべての人のために行うものである。それが王道であり、自分の地位や名誉を高めるための手段とするやり方を排除すべきだという意味です。



さらに、竜馬が草案したとされる船中八策は、小楠の国是七条が叩き台になったと言われているんですよ。竜馬と小楠は合計5回会っているが、竜馬は小楠から国是七条を事細かく聞いていたそうです。



では、ここで横井小楠が実際にどんな人生を歩んでいったのかを一緒にみていきましょう~!!


横井小楠の生き方

四時軒

四時軒(画像提供Hyolee2)

横井小楠は、8歳の時に藩校である時習館に入学し、居寮生となっています。

居寮生とは、学費が藩からでる制度のことで、成績が優秀であることが条件となります。この時点で、小楠がどれだけ聡明であったのかが伺えます。ちなみに29歳で、時習館の塾長までなっています。



30歳になると、藩命で江戸に遊学。江戸では滞在中に、他藩の学者達と親交を持つことで、さらに知見を広げていきました。親交者の中には佐藤一誠・松崎慊堂・川路聖謨・藤田東湖などがいたとされます。
 
やがて、小楠は35歳になると、地元熊本に私塾小楠堂を開塾しています。門下生には徳富一敬・矢嶋源助・嘉悦氏房らがいました。徳富一敬も有名な儒学者ですね。

徳富一敬

徳富一敬

 
1849年には、わざわざ福井藩から藩士・三寺三作が小楠堂に学びに来ます。これにより横井小楠の名が福井藩に知れることとなりました。それから数年後、長州藩が生んだ天才・吉田松陰も小楠のもとを訪れているんですよ。

吉田松陰

吉田松陰



そんな小楠ですが、47歳の時に沼山津に転居を移転し、自宅を四時軒しじけんと名付けました。すると、翌年には福井藩から招へいがかかり、その後も何度か招へいされることになります。

1860年、小楠は福井藩を豊かな国にするために「国是三論」を提案します。1861年には江戸で勝海舟・大久保忠寛と交流しているんですよ~!

さらに松平春嶽の助言者として幕政改革に取り掛かることとなりました。1862年「国是七条」を起草し、幕府へ提案しています。この頃に坂本龍馬とも会っています。

竜馬は、松平春嶽の紹介状を持って江戸で小楠に会いに行きました。そして、小楠の時代を見据えた考えを聞いて感服するわけです。その後も神戸海軍操練所の件で数回会っているようです。けっきょくは、竜馬と小楠は絶縁しますが…。

1865年、竜馬は薩摩から太宰府に向かう途中「四時軒」に立ち寄りました。酒の席で竜馬は薩長連携による討幕を主張。

しかし、小楠の頭の中は薩摩・肥後・越前を中心とする公武合体でした。小楠は竜馬に「二度と来るな!」と言ったそうです。

坂本龍馬

坂本龍馬

 
その後、大政奉還が行われ明治新政府が出来ました。小楠を高く評価していた岩倉具視から上京の命令がくると、1868年新政府の議事官として関わることとなります。

しかし、翌年に6人組の刺客により暗殺。理由は「開国主義の横井がキリスト教を国内で広げようとしている」というものでした。


勝海舟は、横井小楠をこんなふうに評価していました。
「俺は今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷隆盛だ。」
「横井の思想を西郷の手で行われたら、誰もかなわないだろう。」

勝海舟

勝海舟


ただし、小楠は酒癖が悪いことでも有名です。竜馬とも酒の席で、喧嘩別れしていますから。

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横井小楠の名言の意味とは?

書簡何ぞ須く句解の為にある


書籍や本は、なにも一字一句の解釈のために存在しているわけではない。なによりも著者と心がひとつになることが大事である。

要は文法的なことは補佐的要素にすぎないということ。

それよりは、著者が何を言いたいのか、その意図を考えながら読んでいくということでしょう。学者らしい名言です。

この名言を自分に役立てるには?

耳をかざす

このブログもそうですが、名言をそのままの意味で捉えても著者の意図と違うことが多々あったりします。ですから、私の場合はその時代と人物の背景・性格などを、考慮しながら意図を探るようにしています。

もちろん、すべてを理解するなんて無理なので、今の自分に出来るベストを尽くせばいいと思いますよ~。



同じように、他人が発する言葉(セリフ)も、出来るだけ背景とその人の性格・立場を考慮しながら聴くと、本当に言いたいことが見えてくるんじゃないでしょうか。

たとえ自分と対立する人がいたとしても、その人の背景にあるものとか、性格・考え方を考慮していくことでより誤解が減るかも知れません。

人を理解することは自分のためにもなりますしね!


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おわりに

残念ながら、地元の熊本藩では横井小楠への待遇は今ひとつ冷たかったようです。しかし、横井小楠の思想は、坂本龍馬に引き継がれ大政奉還まで成し遂げました。

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この記事を書いた人
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