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【吉田松蔭の名言】”どんな人間でも一つや二つはすばらしい能力を持っているものである” の意味とは?

吉田松陰の名言 日本人の名言

”どんな人間でも一つや二つはすばらしい能力を持っているものである”



これは、幕末に数々の偉人を生み出した吉田松陰の名言です。しかもこの言葉、獄中で生み出されました。

この記事では、そんな吉田松陰の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。


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吉田松陰の名言

吉田松陰の銅像

幕末は日本が大きく開花していった時期で、多くの偉大な人が排出されました。その一端を担ったのが吉田松陰です。


彼はこんな名言を世に残しました。

どんな人間でも一つや二つはすばらしい能力を持っているものである



まずは、吉田松陰の人間性に触れてみましょう。

いやいや、私はすぐにでも意味を知りたいという方はこちらに進んで下さい。
吉田松陰の名言の意味

吉田松陰とはどんな人

幕末の尊王論者および教育者です。

長州藩士杉百合之助の次男として1830年に生まれ、1859年30歳のときに安政の大獄にて処刑されました。


けっきょく何をした人

松下村塾で多くの若者に影響を与え、その教え子の多くが明治維新に関わりました。


吉田松陰の功績

  • 国内を回り多くの学問を長州藩に持ち帰る
  • 日本の未来に影響を与えた
  • 将来活躍する志士を育てた



子供の頃から神童と呼ばれていた吉田松陰ですが、日本の危機を知った時から、さらに強い兵学を求めて諸国を旅しました。これらは書き記され、数多くの著作として残されています。

 

松下村塾を通して多くの若者に自分の知識を伝えることで、将来活躍する有望な人物を創り出しました。


吉田松陰とはどんな人物

松下村塾

吉田松陰は、松下村塾を継ぐために5歳の時から玉木文之進に英才教育を叩き込まれました。

松下村塾は兵学を教えていましたが、玉木は松蔭の叔父にあたります。



すると、すぐに頭角を現しだし、9歳になると武士が通う学校である萩明倫館の教授見習いになっています。担当は山鹿流兵学。9歳にして教える立場にたったわけですね。

そして、この噂が長州藩第13代藩主毛利敬親の耳に入り、敬親は松蔭を呼び寄せて自分に講義をさせました。毛利敬親が22歳、吉田松陰11歳のときです。



さらに、それに物足りない松蔭は19歳になると、兵学研究のため長崎に遊学しました。ここで衝撃を受けます。

中国(清)のアヘン戦争敗北、欧米の東洋植民地化政策を知ると、今の自分達の兵学では欧米に太刀打ち出来ないと考えました。おそらく日本も中国と同じ運命になるだろうと推測したわけです。



そこで、西洋砲術を勉強するためのオランダ語を覚えるために、江戸に行きます。そこで佐久間象山に弟子入り。

佐久間象山というと、オランダ語はもちろん兵学・西洋砲術にも精通しており、写真機も自作してしまう天才です。



1852年になると、通行手形無しで東北旅行を決行し、結果脱藩扱いになります。この脱藩劇は宮部鼎蔵らと出発日の約束を守るためとされています。

東北では、海岸防備の確認とロシア船往来の話を聞いたりしました。



長州に帰ってくると、脱藩の罪で藩士を剥奪されましたが、吉田松陰の才覚に惚れ込んでいた藩主毛利敬親は10年間の国内遊学を許可します。

そして時は過ぎ、ペリーの黒船が来航。再び世の中がざわつき始めました。

黒船来航


1854年、どうしても欧米を勉強したい松蔭はペリーに密航を依頼しましたが、ペリーはこれを拒否。松蔭は野山獄に投獄されることになります。

今回の吉田松陰の名言は、この投獄中に生まれたものです。投獄先では、他の囚人に孟子を講義していたとされます。



1855年に出獄を許されると、その翌年には松下村塾に復帰。すると、松蔭の噂をかけつけた増野徳民、吉田稔麿、松浦松洞らがあいつぎ入塾してきました。

さらに翌年に高杉晋作が入塾すると、久坂玄瑞・伊藤博文らが続いています。


松下村塾は、生徒との意見交換をもとに個性・特性を伸ばす教育をしていきました。そこには甘えや妥協はありません。
松蔭が玉木から受け継いだ教育方針も、長所を伸ばして自覚を促すこと。どことなく今回の名言にも通じるところがありますね。



ところが、1858年になると、幕府が天皇の勅許なく日米通商条約を結びました。これに激怒したのは日本全国の尊王攘夷派です。大老井伊直弼はこの反対意見の弾圧にかかりました。これを安政の大獄といいます。

吉田松陰も例外ではありませんでした。老中間部詮勝を討つ計画を立てていたのが発覚し、長州藩によって再び野山獄へ投獄されました。この時に松下村塾は閉鎖。

やがて幕府から命が下され、松蔭は江戸に送致され刑に処せられました。


吉田松陰は、妹の千代の証言によると、酒も呑まずタバコもやらない真面目な性格だったそうです。

 
そして、自分を律することが出来るストイックさを持っていて、熱血漢でありながら冷静で優しさにも溢れていました。

誠実で、自分が正しいと思ったことは決して曲げないその性格が、仇となったと言っていいでしょう。


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吉田松陰の名言の意味とは?

吉田松蔭の銅像2

どんな人間でも一つや二つはすばらしい能力を持っているのである

この名言は上記でも触れましたが、1855年野山獄で牢獄中に書いた福堂策の一節です。福堂策とは、松蔭が理想として獄のあり方をまとめたものです。後に続く文は、こんな感じです。

 

どんな人間でも一つや二つは素晴らしい能力を持っているのである。その素晴らしいところを大切に育てていけば、一人前の人間になる。これこそが人を大切にする上で最も大事なことだ。



この時、吉田松陰26歳。獄中では、それぞれが自分の得意分野の先生になって教え合いました。すると、囚人たちの表情がみるみる明るくなっていったそうです。

暗く無駄な時間だけが過ぎていく獄中が、幸福な場所になったことから福堂策と名付けられました。


この名言を自分に役立てるには?

黒板と電球

この名言を一言でいうと、「自分の得意分野を見つけて伸ばす」に尽きると思います。



ただし、得意分野を見つけるためには、いろんなことにチャレンジし続ける必要があります。

少しでいいので、たくさんのことにチャンレンジする。その中から自分が没頭できそうなものを選ぶと、上手くいく確率が上がります。



あとは、その能力を伸ばすと強力な武器になります。これは戦国武将である長宗我部元親も同じことを言っています。

興味のある方は、こちらの記事も合わせて読んでみて下さい。

長宗我部元親の名言!”一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならず” の意味とは?
長宗我部元親の名言を解説します。一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならずの本当の意味をご存知ですか?この記事では、そんな長宗我部元親の人物像と功績、この名言に込められた意味を解説していきます。


松蔭の言うように、人間として生まれてきた限りは能力というのは誰でも持っています。自分で本来の能力に気づいていない人も多いので、まずはゼロベースで考えていくといいです。

年齢も関係なければ、性別も関係ありませんから。


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おわりに

当時から、生徒との意見交換に旨を置いた講義を行っていたとは、本当に大したものです。

現在の日本の教育システムに欠けてるものが、生徒と先生・生徒同士の意見交換です。この方法を取り入れることで、自分で考えて行動できる人材を育てることが可能だと思いました。

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